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社長コラム:PRESIDENT’S COLUMN

vol.062靴とシャツを売る

「靴とシャツを売る」
〜社会に必要な存在であり続けるために〜


米国アンダ-ア-マ-社CEO、ケビン・プランクがよく使う言葉です。

アメリカのスポ-ツブランド「アンダ-ア-マ-」は、群雄割拠のスポ-ツ業界において、この20数年で確固たる地位を築いてきました。僕自身、その一部始終を傍らで見届けつつ、アンダ-ア-マ-躍進の歴史をケビンとともに歩んできました。

ブランドの規模拡大、そして米国スポ-ツ市場の活性化とともに、アンダ-ア-マ-やケビンの活動はその範囲を広げ、本社のあるボルチモア市の発展はもとより、全米中の大学や高校の環境整備などなどに大きく貢献してきました。

収益を社会に還元する仕組みを作る。だからこそ、その起点となる「靴とシャツを売る」ことが大事だとケビンは常々言います。誰もが簡単に理解できる「当たり前のこと」ではありますが、誰もが「売りたい」と思っている物余りの現代社会でそれを実行・実現することは、本当に難しいです。

モノをつくること

「俺はラグランの方が好きだなぁ」

ラグランとセットイン、何のことかわかる人...。

「織物」と「編み物」

この違いがわかる人...。

「ラスト」

の意味がわかる人、なぜ「ラスト」というのか知っている人...。

僕らは「靴とシャツを売る」ことで、経済を回し、会社を存続させ、社員にお給料を払うことが可能となります。そのために、より良い商品をつくる必要があり、その上で、軍資金を貯め、より良い社会づくりに貢献したいという思いもあります。

「用尺」

という言葉がわかる人...。

専門用語ばかりのようではありますが...「靴とシャツ」を売るド-マ-ズであれば、必ず知っていてほしい言葉ばかりです。

会社の規模が大きくなるにつれ、入社してくる社員の「入社の理由」も多岐にわたるようになってきました。仕事が細分化され、働き方も多様化し、会社と個人の関係は10年前と様変わりしました。

「ファイナンス」
が、わかる人...。

大きな意味かもしれませんが、僕から見ると「編み物」も「ファイナンス」と同じく大きな意味があるし、「用尺」がわからないまま「服を売る会社」の「ファイナンス」を理解できるかどうか...。そんな懸念もあります。時代を超えて、知識や情報は、その人その人の蓄積となって、社会人としての力量のみならず、人格そのものにも大いなる影響を与えます。

個人的な価値観と、それに基づく会社との関わり方が多様化する中で、好きなことを仕事にできれば、自然と関連事項にも興味が湧いてくるはずです。もとより、今は誰でも簡単に「調べる」ことができます。デジタライズされた検索機能は重層構造で、連鎖的に湧いてくる好奇心をクリック一つでどんどん掘り下げることができます。

自分は何が好きなんだろう。

まずは、眠っている好奇心を解放し、点と点を関連づけ、スト-リ-として全体感をつかむ。昔と違って、専門分野や自己の経験に立脚したポジショント-クをしても、本当の共感は得られないでしょう。

そんな社会構造の変革の中、

自分を知ること。
自分の好きなことをすること。
あらゆる物事を他人事と思わない
こと。

こういったことが大事かと思います。とかく人は役割分担をしたがります。コトをつくるには、モノをつくって売ることから。「靴とシャツを売る」ためには、知識の連鎖によって全体感をつかむ必要があります。モノ余り、多様化の時代に簡単にモノが売れない理由は、ここにあると思います。

多面的に環境を見る

現在、世界的に「肥満」が大きな社会問題になっています。肥満は万病のもとで、一説には戦争よりも多くの死者を出していて、過去の疫病のような「人類の課題」とも言えるそうです。

ド-ムは約5年前、福島県いわき市に3万坪余り(10万㎡)の土地を購入し、その一角に「ド-ムいわきベ-ス」という物流センタ-をつくりました。そして残った広大な土地に「サッカ-場」を作り「いわきFC」というサッカ-クラブを創設しました。

いわきFCは「株式会社いわきスポ-ツクラブ」というド-ムの子会社が運営するサッカ-クラブです。「株式会社いわきスポ-ツクラブ」の活動は、サッカ-クラブの運営にとどまらず、「いわきFCパ-ク」という付帯施設の運営、地元の小学生などの児童を対象に会費無料のスポ-ツ教室を行うなど、多岐にわたっています。

いわき市とのご縁はいろいろとありますが、少なくとも未曾有の「大震災」の被災地、そこに対し「何もしなくていいのかな」という「漠然としたモヤモヤ感」が大きな背景となり、支援に向けた具体的な検討に入りました。
その中、自分の中で「モヤモヤ感」が「使命感」に変わった瞬間がありました。それは「いわき市の子どもたちの肥満率の高さ」という「情報」です。いわき市のみならず、福島県の子どもたちの肥満度の高さは全国でも有数のレベルになっているという事実です。「放射能の影響で子どもが外に出ない」「親が外で遊ばせない」というのがその理由とのことでした。その話を聞いた当時は、震災から「わずか3年ぐらい」しか経っておらず、最初は「え、そんなに急に影響するのかな?」などと思いましたが、「子どもにとっての3年間」がいかに貴重なものか、ちょっと考えればすぐに理解ができました。3年どころではなく、子どもにとって「その1日」がどれだけ重要か。何不自由なく外で遊びまくっていた自分の幼少期を振り返ってみても、胸が締めつけられるような「情報」でした。

生まれた場所が違うだけで、こんな不公平があっていいのだろうか。

「自分たちにできることがあるなら、やらないとダメだ」という思いがフツフツと湧いてきて、そんな意味では「たった一つの情報」が「実行」に向けた大きなガソリンになった、ということだと思います。

震災や放射能の影響は極めて特殊なことかもしれませんが、そもそも子どもの肥満問題は、現代の社会構造、つまり「環境」と大いに関係がある、という研究結果もあるようです。地産の新鮮な食料が少なく、ファストフ-ド店が多く存在するような場所では、肥満率はより高くなっている、という調査結果もあります。安くて便利、さらにテレビCMや店内装飾によって子どもたちの「食欲」を刺激し、「栄養」を優先させる思考が働きづらい環境に、その原因があるとのことです。

そういえば、僕が子どものころ、母親は「ほうれん草」を「ポパイ」と呼び、「これを食べると強くなれるんだよ!」と言っていました。馬鹿正直な僕は母親に褒められたいし、ポパイのように強くもなりたいと思い「ほうれん草」をとにかくたくさん食べました。僕が子どものころから、僕の欲望を刺激するファストフ-ド店のテレビCMはたくさん流れていましたが、安田家はファストフ-ドから距離を置いた存在でした(今と違って、ファストフ-ドが高価だったことも確かな事実ではあります)。

大切なことは、

正しい情報を得ること
多面的に物事を見ること
小さなことでも実行すること
自分との関連性を見つけ、他人事
にしないこと

などかと思います。

時代と世界と自分

息子が10歳ぐらいのころ、ニュ-ス番組を観て、

「父さん、なんで戦争ってするの?片方が悪くても戦争までする必要ないじゃん」 

という大きな質問をしてきました。間違えたことを教えてはならないと思い、頭をフル回転させました。

「うん、確かにその通りだ。俺も戦争なんてしないでほしいし、みんなそう思っている。でも、なんで戦争になっちゃうのか、それはそれなりに理由があるんだと思うぞ。例えば、お前の隣の席のヤツが、いつも筆箱をお前の机の上に置いていたら、お前どうする?」
「やめて、っていう」
「うん、そうだよな。でも、まず置かれたら嫌だよな」
「うん、嫌だと思う」
「向こうが悪いのに、なんでお前が嫌な思いしなくちゃいけないんだろう、って思わない?」
「うん、そう思う。でも、喧嘩はしないと思う」
「そうか。じゃあ言っても、やめなかったらどうする?」
「う-ん、どうだろう。難しいなぁ」
「しかも、もしかしたら相手は、お前が教科書忘れて、貸してあげたことがあるかもしれないよな」
「うん」
「そしたら、向こうはお前には貸しがあるから、俺はお前の机の上に筆箱を置いてもいい、って思っているかもしれないよな」
「ん? それとこれは、違くね?」
「でも、それはお前側の意見であって、相手には迷惑だったことは事実なわけだから、それが正しいって思っているかもしれないじゃん」
「まあそうだけど...」
「戦争って、そうやってお互いの思い違いから、起こっちゃうんだよ」
「う-ん...」
「おまけに、相手がやたら喧嘩が強いヤツだったらどうする?」
「それは難しいな...喧嘩はできないと思う」
「そうだよな。俺もそうだと思う。だから、国は軍隊を持って、威嚇して、できるだけ戦わないようする、っていうのが今の社会なんだよ。まだまだ人類はその程度で未成熟っていう理解で、受け入れるしかないんだよ」
「そうか...」
「ちょっとわかったか? でも、隣のヤツに威嚇されるのは嫌だろ。俺も嫌だ。だから、威嚇もされない、喧嘩も売られないように、俺はトレ-ニングをして身体を鍛えているんだよ。だから、お前も頑張れ!」
「なるほどね!」

と、10歳の子どもがどこまで理解できたかわかりませんし、自分の説明が正しいかもわかりませんが、とっさに出てきた僕の回答と、息子の反応はそんな感じでした。

日本史を振り返ってみると、1万数千年続いた縄文時代から、稲作農耕が始まったといわれる弥生時代に入り、富の分配が起こり「戦争」が始まったと、一般的には言われています。人間が本来持っている欲望が、理性によって知恵となり、能力の「優劣」による「格差」が生まれました。その「格差」を、もともと持っている「本能」が受け入れられず、争いが起こる、そんな風にも考えられます。

文明の発達、技術革新により「優劣」のあり方が大きく変わっていること、特にこの時代の変革期には十分に理解することが、とても重要だと思っています。

現代社会における「優劣」は、物理的な制約から解放された「情報力」に移行していると感じています。スマ-トフォンとクラウドの開発により、制約のあった「情報」が個人個人に解放され、「みんなが同じテレビ番組を観る」というマス型の情報伝達方法は完全に過去のものになり、個々の持つ、より細分化された情報が同時多発的に拡散、シェアされるようになってきました。「日大アメフト部のタックル問題」「レスリング協会のパワハラ問題」、さらには「#me too運動」のように、かつては埋もれていた情報が一瞬にして世界中に広がるようになったことで、十分理解できると思います。

そんな「時代の変革」を理解していない人々や、そもそも「悪人」たちは「払うべき代償」を確実に払わねばならない時代に突入した、といえるかもしれません。動画撮影や録音機能、そしてそれらを共有する機能は今までの「優劣」の関係を、一気に逆転させるほどのパワ-を持っています。だからこそ、

相手の立場になること

他人にされたくないことはしないことが、何よりも大切だと思っています。

「アンダ-ア-マ-」が、その勢いとともに社会に受け入れられ始めた時「テックTシャツ」というコットンライクな肌触りの、カジュアルなTシャツが開発されました。そのシャツは「ラグラン」というスリ-ブ構造で、アンダ-ア-マ-では初めての試みでした。アパレル業者から見たら、笑ってしまうぐらい当たり前のパタ-ンですが、僕も社員の大半も「ラグラン」という言葉の意味を、その時初めて知りました。今までのシルエットとぜんぜん違う、とはいえ昔からの形状でもあり、「ああ、こんなことも知らずにやっていたのか...」と、かなり焦ったことを覚えています。「ラグランが好きな人々」に、適切な商品を提供する機会を失っていたわけです。

経営者である僕にとって、詳しい商品情報はさほど重要でない、という見方もできるかもしれません。でも、僕には「靴とシャツ」を売る人間として、できる限りの知識をつけたい、つけなくてはならない、という義務感と、何より「知りたい」という好奇心がありました。

日本やアメリカ、アジアを含めて訪問した工場は数知れず。繊維のつくり方、ミシンの使い方を教えてもらったり、Tシャツを分解してまたつくってみたり、物作りの真似事をいろいろとやってみました。「マ-キング」と「用尺」がこの商売の収益の源であることも、工場を見ることで実感できました。「カッタ-シャツ」や「カットソ-」、「ニット」や「ジャ-ジ」にも、その語源には変なものも含めて、ちゃんと意味があることを知りました。そしてフットウェアを始めることになって「よし、今度は靴か...」と思い、今度は世界の「靴工場」をたくさん回りました。

自分で行って、実際に見る。すると、わからないことが芋づる式に増えて、専門的な学術本や専門誌を購入して付帯知識を増やす。そんなことを繰り返していました。それが、僕のビジネスマンとしての足腰になっていること、全体感を持ちながら、日々の意志決定を行うことに有効であることは、言うまでもありません。でも、ここではそんな偉そうなことを言いたいわけではなく...今ではインタ-ネットで検索すれば、いとも簡単に入手できる情報ばかり、ということが言いたいことのポイントです。ユ-チュ-ブを見れば、靴のつくり方までわかってしまいます。

情報力が人の優劣をつけるのであれば、なんともシンプルな時代だと思えてしまいます。大量にある情報の中、大切な情報とそうでない情報、それを見極めるセンスも重要であろうかと思います。

とはいえ、まずは「知りたいな」と思う好奇心、向学心が何より大事な要素なのかもしれません。

社会環境と子どもの肥満に関連性がある、そんなこと、思ってもいませんでした。「肥満は自分のせいじゃん」ぐらいにしか思っていませんでした。幼少期に肥満になった子どもは、7割以上が成人しても肥満のままだそうです。肥満による死者は戦争よりも多い。これもショッキングな情報です。

震災から、もう7年以上が経過しました。今では、300人以上の学童たちが「いわきFCパ-ク」を訪れ、環境に優しい天然のヤシの実チップを利用した美しい人工芝の上で、飛んだり跳ねたりしています。子どもたちのあふれんばかりの笑顔は、確実に大人をも元気にします。
ド-ム本社のある有明でもたびたび、地元の子どもたちを対象にした「子ども運動教室」を実施しています。驚かされたのが、有明の子どもたちの方がいわき市の子どもたちよりも、相対的にみて「基礎的な運動ができる」ことです。

「子どもたちに運動をさせる」

これは、安全な公園などの整備や、運動を勧める大人たちの理解など、社会環境に大きく依存していることがより具体的に理解できました。同時に「栄養」という「健康の源」となる知識をつけることも、親子ともどもとても重要です。

足元にある普通の生活が、もしかしたら普通ではないかもしれない、そしてその1日は子どもたちにとってはかけがえのない1日であることが、いわき市に行くたびに強く感じられます。親子そろった「栄養講習会」も、何度も何度も実施しています。

「子どもに理解できるかな」
「子どもだから、そんなこと真面目に取り組めないよな」

などと、絶対に思ってはいけません。だって僕も「ポパイ」をたくさん食べて育ったのだから...そんな風に思っています。
子どものころの気持ちを思い出し、今ある環境を客観的に見るべく、正しい情報を掴むこと。こうした活動の蓄積、そして知識の積み重ねが「あれ、こんな風に感じてくれるんだ」や「もっとこうしなくちゃ!」というエネルギ-となり、自分や家族、そして「社会をより良くする」という大きな価値へ広がっていくのだ、と感じます。              

衣食の次へ

人間が人間たる要素といえる「衣食住」のうち、二つの重要案件に僕らは関わっている。そんなことを時々、考えます。すなわちそれは、大変重要な社会基盤を担っているということを示しています。繊維のもとは大麻だったり、戦争の原因をつくったり、シルクロ-ドの名のごとく、人々の文化の醸成に役立ったり...と、移りゆく時代の中で大いなる役割を担ってきました。かつては自然の中で生きていた私たちが、産業の発展とともに忙しくなり、格差が生まれるようになりました。そして人々の生活基盤となる栄養にも、格差が生じています。そもそも、稲作農耕という発明が戦争の原因だったりもするわけです。

最後の「住」を、少しばかり強引に「陣取り合戦」に例えてみると、安穏な生活を送りたいという人々の根本的な欲求がたびたびバランス感覚を失い、「自分にはこんな権利がある」や「これはあなたのため」という「利己的な理想」となり、これまた戦争を引き起こします。

大きく見てみると...
僕らのやっている仕事、それはそんな大きな社会構造の一角を担っている。そんなことをつくづく感じます。

いいシャツをつくりたい。

そんな願望が、シルクロ-ドの壮大なイメ-ジを想起させ、世界遺産に認定された富岡製糸場で働いていた人々の生活すら、不思議と身近に感じられます。

「震災は他人事じゃない」

そんなぼんやりした気持ちが、環境格差による栄養問題に直結し、子どもに理解できるかどうかわからない栄養講習会のモチベ-ションとなり、自分の子ども時代を思い返すきっかけとなり、子どもの気持ちが自分の中に鮮明によみがえる。

人の本能や欲望が社会を発展させ、時にバランスを欠き、悲惨で無意味な戦争を巻き起こす。

「スポ-ツビジネスは、人の本能を刺激し、欲望をマネタイズするビジネスモデル」

僕は自分なりに、自分のやっているビジネスをこんな風に定義しています。そうであればこそ、その本能と理性のバランスを欠くことがあってはならない。そんなことを思います。昨今、大きな社会問題となっているスポ-ツ関連の問題の数々の中身を紐解いてみると、その当事者のほとんどが、

「自分はこれだけの貢献をしてきた」
「これは相手のためだと思ってやってしまった」

というバランスを失った利己的な思考が、信仰にまでなってしまったように思えてなりません。

さらに大きく捉えてみると、「衣食住」は、すでに十分に満たされている社会が、足元にはあります。実際、僕も何不自由なく育ちました。

「靴とシャツを売る」

そんなケビンの言葉が、再び僕に大きなものとしてのしかかってきます。「衣」の意味が大きく変わった現代社会において、個々のニ-ズに合わせた商品づくりやサ-ビスの開発は、我々が生存していくために不可欠な要素です。まずはとにかく、これを一生懸命にやっていこう。自分はどんなシャツがほしいのか。どんな靴を買いたいのか。どんなサ-ビスを受けたいのか。

「正しい栄養知識を啓蒙する」
これらを、大きくつなげること。自分たちのスト-リ-を描くこと。

歴史を学び、その過程で社会構造の理解が進み、変わりゆく価値と変わらぬ価値を見極めること。

そして、正しく経済を回し、社会に必要な存在であり続けること。そのために、足元を見ること。

「世界中の人々の、喜びも悲しみも、みんなあなたにつながっています」

小学校の担任の先生が卒業式のときに示してくれた「贈る言葉」です。

誰もが正しい知識や情報にアクセスできる時代です。

好奇心を忘れず、
知識をつけること、
関連性を導き出すこと、
その上で自分を客観的に見ること。

個々が何でも発信でき、個々の欲望が解放された現代社会です。他を受け入れること、自分を振り返ること。ここが社会にとって必要な自分・組織であるかどうかの、大きな分岐点になると思います。

「靴とシャツを売る」

このシンプルな言葉に、壮大なスト-リ-と夢、そして本当の正義を乗せて。


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※本コラムは、「Dome Journal vol.44」に掲載されたものです。
https://www.domecorp.com/journal/

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