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社長コラム:PRESIDENT’S COLUMN

vol.051「どこでもドア」であるために。1+1=10の世界。

6月某日、アメリカに行って参りました。
今回は、ボルチモアはもとより、サウスベンドのノートルダム大学を訪問したり、オークランドでNBAファイナルを観戦したり、はたまたシリコンバレーを訪れたり... と盛りだくさんの出張であった。またそんな中、アンダーアーマー社のCEOケビン・プランクのおかげで普通は到底面会できないような人々と交流することができ、一言で言えばまたまたアメリカに「圧倒」された出張となった。ぐいぐいと成長を続け、どんどんとデッカクなっていくケビンは、僕をどこへでも連れていってくれ、大きな刺激を与えてくれる「どこでもドア」のようだ。
わずか5日間の出張であったが、「どこでもドア」の威力は絶大で、本当にたくさんの、そして大きな気づきの連続であった。その中で二つのことに大きく絞ってお話したい。

「モノからコトへ」
「フラットな人格形成」
という2点だ。

「モノからコトへ」は巷でもちょくちょく聞かれるフレーズであるが、これは消費社会が一回りし、人々の「欲望の対象」が、テレビや車などの有形物から情報やサービス、体験などの無形価値へシフトした事を示している。
情報は、WebサイトやSNSなどそれ自体が価値を生む場合もあれば、新しい価値を生み出す上での基礎知識にもなる。サービスとは「カスタマーエクスペリエンス」というアメリカでよく耳にする、文字通り「顧客の体験」という言葉に集約される。これは「少しでも嫌な体験をすれば、二度とお客様は帰ってこない」という現実を逆説的に説いている。「モノ」の時代が終わった今、「情報」に基づく選択肢がいくらでもある、ということだ。

例え話 ― その1
テレビというメディアで言えば「テレビが欲しい」という欲望が「どこで何を観たいか」に変わったということ。生産者視点から見たら「テレビを売る」という時代は終わり「どこで何を観せるのか」という時代になったということ。つまり消費者のニーズは「より高画質、大画面」という「モノ」ではなく「スマホで通勤電車で何々を観たい」という「コト」に変わった、という実態である。
いつでもどこでもCM抜きで観られる「コト」が望みであり、違いすら分からないくらいの高画質を追求されても、真のニーズとは掛け離れていく一方だ。家電メーカー、家電量販店、テレビ局などテレビ関連企業の急激な業績悪化は「モノからコトへ」が言葉だけの世界ではなく、パラダイムシフトとも言うべき大きな変革が起こっている現実を示している。
巨大メディアコングロマリット同士が共同出資して設立した  Huluや、既存チャンネルの一つとしてテレビのリモコンに組み込んだNetflixなどの台頭が、こうした現実を今後よりクリアなものにするだろう。同時にESPNを傘下に持つディズニーコーポレーションの時価総額が約25兆円を超えてきているのも見逃せない事実の一つである。もはや「CMを見なくてはならない唯一のコンテンツ」となったスポーツ関連の放映権料やCM出稿料が世界規模でウナギ登りなのも、パラダイムシフトの証明と言える。このようにアメリカのメディア業界がダイナミックな変革を遂げているのに対し、未だに地上波番組を頂点とするヒエラルキーの下で、縮小を続けるパイを食い合っている日本のテレビ関連企業の後進性に強い危機感を抱かざるを得ない。

例え話 ― その2
野球部に体験入部して「嫌な体験」をしたらサッカー部に移動する、そういう時代とも言える。子供が多い時代ならそれでも良かっただろうが、少子化時代の今はそもそもスポーツ自身を選んでもらえるよう、業界全体で「カスタマーエクスペリエンス」を最良なものにしなくてはならない。一六〇〇億円という世界トップクラスの建築費を誇るヤンキースタジアム、最近はテレビ中継もよくやっているが、その座席がゆったりとしていて、フカフカ仕様なのに気付いている方はいるだろうか。隣のおじさんの肘が気になったり、トイレに立つのにも一苦労、では洗練されたNYのお客様の「おもてなし」には不適格だ。同時に、お父さんに連れられて、初めて行ったヤンキースタジアムでの体験が一人の少年の忘れられない記憶となる... など、こうした「コト」の連鎖が野球少年やファンを量産していく。
このように目に見えない細かい「体験」に投資をし、相乗効果をも視野に入れ、リターン
を最大化することこそが「モノからコト」へ変わった時代の好事例だ。

閑話...「東京オリンピックのキーワード感」さえある「おもてなし」という言葉。この事実が何とも恥ずかしくて仕方がない。オリンピック招致のスピーチ以来、急にクローズアップされたわけだが、そもそも「カスタマーエクスペリエンス」という言葉のように、もてなす側としては「顧客側の言葉」を使用するべきである。「おもてなし」とはサービスを提供する側の言葉であって、そんな「社内用語」レベルの言葉を、押し付けがましく喧伝してしまうセンスの無さには呆れるばかりだ。サービスの押売りほど面倒臭いものはない... と閑話休題。

出張の話―NBAファイナル@オラクルアリーナ
約2万人の観衆を集めて行われたオークランドにあるオラクルアリーナでのNBAファイナル。二〇一五年のシーズンは、MVPを獲得したUA戦士、ステファン・カリー
率いるゴールデンステート・ウォリアーズの優勝で幕を閉じた。我々はその優勝を争うNBAファイナルの第5戦を観戦した。とにかく動線が見事であった。会場までのアクセスがスムースで、一切の渋滞がなく、所定のゲートまで車で入ることができた。
UAが取ったシートはスイートルーム、ゲートからの動線も素晴らしく、人混みとは無縁のまま「座席」にたどり着くことができた。スイートルームでの食事はまさに高級レストランさながらのブュッフェで、3人のスタッフが20名のサービスを担当する。お酒も各種類用意されていて、簡単なカクテルまで作ってくれる。肝心なゲームも我がウォリアーズが接戦を制し、大満足のまま会場を去ることになったが、酔っ払いばかりの帰り道の動線も同じように見事なものであった。

日本でいくつもの試合を見てきたが、こんな体験は一度もない。動線がスムースなだけでなく、チームカラーに染まった会場、チームの装飾や心地よいBGMがワクワク感を掻き立てる。日本のスタジアムや体育館はほとんどが「役所の会議室」のような無味乾燥な雰囲気であったり、スポーツとは無縁のよく分からないオブジェに無駄な予算を割いていたりする。入退場は雑踏にまみれてしまうし、椅子やテーブルなどの調度品も判で押したような古来の定番モノであったり、関係者ブースからパイプ椅子で観戦したり、などといったスタジアムばかりで「おもてなし」には程遠い状態だ。
NBAに限らず、アメリカのスポーツ業界でもかつては全く同じ状態であった。NBAも閑古鳥が鳴くような低迷期があった。それを業界と自治体が協力して「カスタマーエクスペリエンス」の最大化に努めてきた。その結果... 20名のスイートルームの価格がなんと「一二〇〇万円」にまでなった。そしてそのスイートルームがなんと72部屋もあるのだ。これだけでざっと九億円近い収入である。「コト」を追求することでここまで価値を最大化することができる... ということをまざまざと見せつけられたNBAファイナルであった。

フラットな人格形成
シリコンバレーでは、Google社をはじめ、Twitter社、Whatsapp社など、IT企業の雄を訪れた。またそんな企業に投資をする有力な投資家たちとも意見を交わすことができた。ケビンの計らいでそれら企業の創業者やCEOとの会談にも同席させてもらった。映画「スティーブ・ジョブズ」の中で、「スティーブ・ジョブズ」をクビにして、再雇用した、その当の本人の話も聞くことができた。
そんな中、僕の心に強烈に残ったイメージが「フラットなコミュニケーション」であり、その前提となる「フラットな人格」だ。とにかく、会った人すべてが業界の超大物、にも関わらず、初対面の日本人である僕への対応がことごとく「フラット」であった。

「よく来たな!」
「日本はどうだ?」
「カリフォルニアは最高だろ、とにかく天気が最高だ!」
「家族はどうだ?」
「ビジネスはどんな感じだ??」

こんな風に、自然にアイスブレイクをしつつ、仕事の話に流れていく。話した誰もが目をグッと見つめ、一言も聞き漏らさないぞ、という雰囲気が醸し出される。ここには、人種も年齢も事業規模もなく「どんな人間なんだ!?」という初めて会う他人への本質的な興味しかない。(もちろん、その場にいるだけである程度スクリーニングされているという前提ではあるが。)これは「何か生まれるかもしれない」という本能的な興味であり、飽くなき成長への意欲である。同時に「自分は何も知らないことを知っている」という無知の知にも通じる謙虚な人格でもある。これが現代のアメリカの成長を支える「1+1を3や4」にする力の原点のように思えた。

インターネットの出現で、情報やサービスという「コト」の利用価値が飛躍的に高まった。最も象徴的な例が「i Phone」であろう。i Phoneとはなんだろう。モノではあるが、間違いなくコトでもある。デジカメ、電話、音楽端末、コンピューターであり、それ自体がSNSやコンテンツ配信などの新しいサービスを生み、のみならず満員電車でも布団の中でも「仕事」が出来るようになった... と、ライフスタイル自体をも変えてしまったのだ。1+1を10や20にしている感すらある。
かつては国会図書館まで行かないと得られなかったような機密性の高い情報も、新聞の折込みのようなローカル情報も、
スマホ一つで「一瞬」で手に入ってしまうようになった。もはや人々は図書館と世界各地の新聞を持ち運べるようになってしまった。こうした情報や機能に、物理的な器具を足し合わせて総合的なサービスを創造しているのが、俗にいう「IoT」の世界であり、世界中が注目する「インダストリー4・0」の端緒でもある。フラットなコミュニケーションが全ての基礎となり、成長の種を探し、違う価値同士が組み合わさり、全く新しく巨大な価値へと昇華させる。1+1=10にする、逞しいばかりの連鎖である。

反対に... 日本で「i Phone」ができなかった理由が自分の中で明確になった。「フラットな人格」とは正反対に、日本のリーダーたちの多くが個人の「メンツ」を優先する「権威的な人格」であるからだ。この情報化時代においても、新たな情報にはほぼ無関心、メンツを重んじるため、組織間をまたぐ活発な議論もなく、周りはご機嫌伺いで固められる、そんな状態だ。ちょうどこの出張前後に、政府の要人達や大企業のトップの方々と面会する機会が多々あり、シリコンバレーのダイナミズムと比べ、あまりの「時代遅れ」振りに愕然とした。
まず、ほぼすべての会議場に「プロジェクター」がないのだ。特定の目的があっての面会であり、事前に「プロジェクター」の有無の確認をして、最悪スクリーンだけでもありませんか? と言っても基本的には「ない」のである。これは古来より日本の政界や財界に引き継がれている「紙一枚でまとめろ」という「作法」がその背景にある。同時に、こうした古いビジネス作法に立脚した「権威的な人格」というロールモデルが日本人の心根にあるとつくづく感じた。「俺は忙しいから紙一枚に有益な情報を集約しておけ」と、こんな具合だ。この変な人格が日本の悪習である「縦割り」を生み、「コト」の組み合わせの時代においてはクリティカルな欠点として顕在化する。紙一枚で「アメリカの最新スタジアム」における華やかな体験とその細かい仕掛けを表現できるだろうか。「プロジェクター」で動画を流せば1分で紙一枚の数十倍の情報が手に入るだろう。それだけ情報に鈍感であり、アイデアを出し合う、気持ちを共有し合う、仕組みも意欲もない、ということだ。

訪米の直前までそんな具合だっただけに、シリコンバレーの人々のフラットさと先進性が際立ち... 会議に至ってはそれこそ「プロジェクター」云々の世界じゃなく、彼らの操る情報ツールは巨大モニターであり、
巨大タッチパネルであり、モーションキャプチャー物まであった。しかも彼ら自身が「資産数千億円的な資産家」であったり、それでもなおフラットに他人とコミュニケーションを図り、議論を通じての新たなアイデア集めに余念がないのだ。こんなダイナミズムに触れたあとの「プロジェクターなんか必要ない、紙一枚にまとめろ」がいかに滑稽か... 「王ちゃま、次は粉ミルクでちゅか!? おしゃぶりでちゅか!?」という次元、まるで漫画の世界だ...

「1+1=3とか4」の例え話
WeWorkというケビンの知人が出資している会社を訪れた。この会社、レンタルオフィスを経営しているのだが、5年前に十数億円の資本金で始め、今では一〇〇〇億円の企業価値にまで急成長、その勢いはとどまるところを知らない。一見、さほど新しくもないビジネスモデルであるが、その中身の斬新さには驚かされた。
いくつかあるビルのうちの一つを訪ねたのだが、外見は古びたごく普通の雑居ビルであった。ただ中身は完全にリノベートされていて、各フロアの中心部にお洒落なカフェテリアエリアを大きく配置し、周囲に3~6名くらいにガラス張りで小分けされたオフィススペースが設置される、というレイアウトで「お洒落が売りか?」がその第一印象だった。他にも共用のコピーマシンや撮影スタジオ、個室の会議スペースなど機能としてはフル装備である。ただし、ここでもポイントは「フラットなコミュニケーション」なのであった。

まず中心部分に大胆に配置されているカフェテリアが起業家間のリアルでフラットなコミュニケーションを生み出している。事実、オフィス内よりもこのカフェスペースで執務しているor雑談している人のほうが断然多かった。お互いどんな仕事をしているかよく知っているため、協力関係もできやすい。つまり、物を作っている企業、撮影が得意な企業、それを伝達するコトがうまい企業、などなどがいとも簡単にくっつく仕組みである。そしてそんな関係性をさらに加速しているのがWeWork入居者専用のSNSである。入居者同士がSNSを通じて、極めて頻繁に、手軽にコミュニケーションを図っているのである。それは「今晩、飲み会があるけどどう?」という場合もあれば「XXの試作品を作りたいんだけど、誰か3Dプリンター持ってない?」という場合もある。全ての情報がフラットなのである。さらに驚かされたのが、このWeWorkと投資家がダイレクトにつながっているという事実だ。投資家もこのSNSにアクセスでき、リアルタイムで「投資候補先」とフラットなコミュニケーションをとり合えるのだ。雨後の筍のように優良なベンチャー企業が育つのも当然と思えた。反対に日本の投資家たちが総じて「権威的」であることは想像に難くない。

そう言えば、スティーブ・ジョブズをクビにした投資家がこんなことを言っていた。
「シリコンバレーはもはや場所の名前ではない。コンセプトだ。この自由闊達で前向きなカルチャーや仕組みが世界中に広がり、より良い文明が正しく広がり、社会が豊かになることを望んでいる」
どこまでもフラットでどこまでもスケールがデカい。そして、なぜか温かみを感じる。分不相応にも、「日本にもシリコンバレーを作りたい!」そんなムズムズした気持ちになってしまった。

まとめ
こうして書いてみると、実は僕の周りにも「フラットな人格」の人々がたくさんいることに気づく。若者の話を楽しそうに聞いてくれるジャイアンツの久保社長、バスケットボール界改革の旗手とも言える琉球ゴールデンキングスの木村社長、社会人野球での成功をステップに大学野球へ果敢に挑む慶應・大久保監督、甲子園を二度も制しながら世界基準の野球を目指す東海大相模・門馬監督、行政の頂点から大きな車輪を回そうとする勇敢な政治家・後藤田正純などなど、個性豊かな彼らに唯一共通する点は「フラットな人格」であることに気づかされる。
権威に威を借りず、現状に満足せず、自ら足を運び、年下との対話に努め、真実や正義を追い求める。彼らの欲望は「より良くなる」ことだけ、その眼差しは「シリコンバレーで見たそれ」となんら変わらない。こうした「フラットな人々」が各自の役割を全うしながら、有機的に結びついていくことで1+1が3や4になっていく... まだまだ小さな領域ではあるが、そんな「フラットな結びつき」が徐々に広がっていくようなダイナミックな胎動も確実に感じられる...
無知で時代遅れの権力者が虚しく威張っている漫画のような現状に、ただ嘆いているだけでは何も変わらない。

...
「俺(私)はフラットか?」
問いかけてみよう。

そして、自分の概念で判断するのをちょっとやめてみよう。
判断する前に、最新の情報を集めてみよう。
人に意見を言わせてみよう。
自分にとって嫌なことも、少しだけ我慢して聞いてみよう。
概念で語らず、正しい情報に基づく真の知識を身に付けよう。
そのために、会議室にプロジェクターを置こう。
皆で情報を共有し、五感を解放し、共に考える習慣をつけよう。

持論を述べる前に、世界の事例を検索しよう。
フラットな人格を身につけよう。
そのために、年齢や職位、学歴じゃなく、その人自身がどんな人なのか、そっちに少しだけ興味を持とう。
...

そう言えば、ソクラテスも若者たちを捕まえては、対話を通じて教育をしつつ、自己の考えをまとめて言ったらしい。古代ギリシャにおける牧歌的で「フラットなコミュニケーション」が想像できやしないだろうか。
「彼は何も知らないのに、自分は知っていると信じており、それに対し、私は何も知りはしないが、知っているとも思っていない。されば私は、知らぬことを知っているとは思っていないかぎりにおいて、彼よりも智慧の上で少しばかり優っているらしく思われる」
彼はこんな偉大な言葉と共に、現代に生きる我々に問いかけを続けている。

僕の「どこでもドア」、ケビンも「フラット」を絵に描いたような人間だ。ケビンと僕のフラットなコミュニケーションが、今までいくつもの困難を乗り越え、いくつものアイデアを生み、どれだけお互いを成長させてきただろう。
「無知の知」のない人々は早晩淘汰されることだろう。そんな日が一刻も早く来るよう、僕自身、そしてドームがいつまでも日本における「どこでもドア」であろう。そのために、これからも突き抜けるような「フラット」さを追い求め、世界に目を向け、足元の声を聞き、謙虚に学び続けていこう。


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※本コラムは、「Dome Journal vol.32」に掲載されたものです。
http://www.domecorp.com/journal/

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