• ACCESS / CONTACT
  • UNDER ARMOUR
  • Facebook
MENU

社長コラム:PRESIDENT’S COLUMN

vol.028働くということ

「人生とは魂レベルを上げるための修行の場」
とは、京セラの創業者、稲盛和夫さんの言葉です。仕事をやりぬいた人として行き着いた一種の悟りであり、哲学です。辞書によると、哲学とは根本原理の追求であり、分かりやすく言うと「なぜなんだろう?」「どうしてなんだろう?」「いったいどういうことなのだろう?」と日々、自分に問いかけながら生きていくことだと思います。

つまり、

「なぜ金儲けが必要なのだろう?」
「なぜこんな嫌な思いをしてまで働かねばならないのだろう?」
「俺はいったい誰のために働いているのだろう?」

稲盛名誉会長の境地はとてもじゃないけど知り得ませんが、私が推測するに、稲盛会長は日々一生懸命働きながら、そんな素朴な疑問と格闘し、そしてその過程や結果において会社も成長・成功を収め、それだけでなく、信念や正義を追求し続けたことで、人生としての悟りを開けたのだと思います

幼い頃、大好きだった小説、吉川英治作の「宮本武蔵」、彼も"剣"を通じて、相手だけではなくむしろ自己と格闘し続けることによって、ある種の悟りを開き、現代に語り継がれる偉人となったのだと思います。

実際、私は稲盛さんのことは彼の著書を数冊読んだだけですので、まるで語るに足りませんが、私自身が、いつでも自分自身に問いかけることに「何のために生きているのか?」というものがあります。

苦しい場面に出会うと、少し前に流行った、

♪あしーたがある、あしーたがある、あしーたがあーるさ。
どーして私は頑張っているのだろう?
家族のため?自分のため?
答えは風の中♪

こんな歌がふと、頭をよぎります。同時に、

♪ひとつやーまこしゃ
ほいだらだったっほいほい、
こーしてもこーして
ほいだらほらだらだほーいほーい♪

なんて歌も頭に浮かんだりします。

どちらも団塊の世代に愛された歌ですが、がむしゃらに生きてきたこの世代の人々にとって、やっぱり頑張っている"答えは風の中"であったろうし、辛い事や苦しい事を乗り越えたとしても"こーしてもこーしてもほいだらほだらだほーいほーい"、だったんだろうなあ、と思います。

そんな意味では、若い頃から多くの選択肢に恵まれていた現代人の端くれでもある私は、どうして起業・・・というより、どうして働いているのか、ということをいつも考えます。そんな時出てくる答えはいつも・・・

「働かなくちゃならないから、働く」

であります。もっといえば、

「どうせ働かなくちゃならないなら、楽しく元気に働く」

であるし、

「どうせ働かなくちゃならないなら、少しでも世間様に役に立てればいいなあ」

でもあったります。

起業だの社長だの、偉そうなことを言う前に、私は一人の人間であり、人間である以上、思い、悩み、苦しみ、笑い、泣きながら日々を過ごしています。苦しいことより楽しいことがいいに決まってます。苦労しないで金が稼げる、幸せな生活が降って来るのであれば、何も苦労などしたくはないです。

ただ、世の中、そんな虫のいい話があるはずもありません。どうせ働かなくちゃならないわけだから、一生懸命頑張ってみよう、というのが私自身の根本的な行動原則です。資本主義社会、というルールに下に生まれた以上、健全に働くのが義務であるし、同時に納税の義務もあれば年金加入の義務もあり・・・そんなルールを無視した生き方をしたいとは、私は全く考えません。

ルールとは知能を持つ人類が作り上げた、"生きていく知恵"の結晶のような物です。そんな"偉大なる"ルールがある以上、そのルールにのっとって、一生懸命働くしかない、つまり・・・そもそも、労働することに対しては我々大人には、拒否権は無い、とすら思ってしまいます。

拒否できない現実を前に、皆さんはどうするでしょうか? 

小学生の頃、インフルエンザの予防接種、「俺は嫌だ!」といって、逃げられた人がいたでしょうか?もちろん、世の中にはルールを破る人が何人か存在します。ですが、普通の人は「仕方なく」受けるでしょう。でも、受ける、と決めたら後は前向きに、「いかに痛くなくするか?」という技術を磨くのではないでしょうか?

「他のこと考えてたら痛くない」
「打つ前に自分でツネっておけば痛くない」
「緑の注射はいたくないぞ!」

まことしやかに色々なことを話したのではないでしょうか?私はそんな拒否できない現実を前にしたとき、いつもうろたえながらもいかに痛くなく予防接種ができるか、自分なりに情報を集め、工夫をしたのを鮮明に覚えています。まあ、その工夫は全く意味はなかったのですが。同時に、本来の意味、「インフルエンザになったらもっと辛いぞ、ならない為には必要なんだ」、というのも自分に言い聞かせました。ただ、人間、そんなに強いものではありません・・・インフルエンザにかかった方が辛いという事は頭では分かっているけど、やっぱりその瞬間は注射の方が嫌なものですよね。

そんな風に考える・・・注射に怯えながらソワソワし、自然と色々な工夫をする事は当時を振り返ると自然なことだったと思うのですが、片や「労働」というモノに対しては、あまり深く考えず、そして、あまり工夫もしないでレールに乗っているかのような就職をしてしまう人が多いと思います。

私の父は自営業を営んでいます。東京の羽田という街で、江戸時代から続く造船業が私の家の家業です。普通なら親父の会社を継ぐのでしょうが、自営業の父として、息子に教えたくない色々な事実などがあったのでしょうか、父は私をあまり会社には近づけませんでした。同時に私も、家を継ぐ、という考えはあまりないままに、育ちました。

そして、大学を卒業して、就職先を選ぶ際、私の一番大きな基準になった考え方は、「自分を磨こう」というものでした。高校生の時、アメリカンフットボールというスポーツに出会って以来、来る日も来る日も「日本一になりたい!」と思い続け、泥まみれの毎日を過ごしたわけですから、自分の具体的な将来像など頭には全く浮かんできません。

また、当時は東西の冷戦構造が崩れ、歴史で習っていたベルリンの壁が崩壊(・・・昨日までここを越えようとした人が射殺されていた場所が、突然崩れた事に本当に衝撃を受けました)したりするのを目の当たりにし・・・

そんな中で思ったことが、

「これからは何があるかわからない。就職、というよりも自分自身の実力をいかに高めることができるか、そんな会社に勤めよう」

と、いうものでした。

以来、4年間のサラリーマン生活を経て、10年ほど前に有限会社ドームを設立しました。
「自分の実力を高めよう」と考えてサラリーマン人生を歩みだした時点で、私の就職は子供じみたモノであることを痛感しました。本来、学生という立場というは将来、社会において何かを生産するための準備期間です。つまり、社会人というのは、次の世代を産み、育てるという義務があります・・・自分がそう育ってきたように。

そんな意味では、学生の時に、ただひたすら運動に没頭し、自分の実力が向上したり、チームを強くしたりする、という目的は多少果たせましたが、運動によって得られた大切なモノ、人との信頼関係や努力の大切さ等々といったモノを、社会人としてしっかり活用するようになる為のプロセスをもう一つ踏む必要があったのだと思います。そして、社会人になるための適切な準備や心構えを大学時代にしてこなかったのだと思います。「それは社会にでれば何かつかめるかもしれない」という風に社会に甘えていたのかも知れません。

そもそも、

社会人は労働という生産活動を通じて、社会に貢献しなくてはならない。

という基本的な心構えがまったく欠落していました。

何を始めるにしても最初の心構えは本当に肝心です。社会人として何かを生産する、という考えではなく、何かを教わる、というまったく反対のスタンスで就職をしてしまったが為、やはり会社には馴染めませんでした。

そして、そんな反省から「自分で労働して、自分で何かを作り出して、その中からお給料をもらう」、という単純なサイクルで人生を歩んでみたい、と思い、1996年に有限会社ドームを設立いたしました。おかげさまをもちまして、今年で早くも10周年を迎えることが出来ています。

おかげさまで、毎日笑顔のほうが多く、過ごせていると思います。「何か」を産み出している、という実感が笑顔を作っているのだと思います。

一人でも多くの笑顔、一分でも長い時間の笑顔を作りたい。スポーツの仕事はそんな魅力を潜在的に包含しています。

「人生とは魂のレベルを上げる修行の場」

生きると言う事は難しいです。だれも希望して産まれて来たわけではなく、どっからともなく命を授かり、そして希望せずにその命を天に返します。

魂を磨くこと。大きな言葉のようですが、私にしてみれば「一日一善」、「笑う門には福来る」など、日々の生活を真面目に明るく元気に暮らせているか、そんな事が魂磨きのバロメーターのような気がします。

墓場には何ももっていけません。お金も家も車も、カツラも入れ歯も見栄も何も持っていけません。たくさんのいい思い出と共に魂を天にお返しできれば本望だと思っています。

社長コラム 一覧へ